開基玄栄法師は、武蔵国都築群小机城の領主笠原越前守信為の嫡子で、童名を竹丸という。
玄栄7歳の時、父越前守、織田信長のために討ち死にする。玄栄師は一命を逃れ出て、上総国に落ち行き、禅院にて出家をとげ、法名を宗全とあらためる。
織田信長が大阪へ向かい、石山合戦が激しくなったときき、仏法世法の仇をなし、恨みをはらさんと心一決し、夜を日をついで大阪石山本願寺に入陣する。
このことを聞かれた、顕如上人(本願寺第十一世門主)が奇特に思われ、御前に召しだされ、直々に教化を蒙り、二心なく、浄土真宗に帰依する。
そして、籠城戦にて、粉骨砕身する。
顕如上人、織田信長との和睦後故郷都築群吉田村(現在の港北区新吉田町)に帰り、一宇を建立する。上阪しその旨、顕如上人へ報告、方便法身の尊形および蓮如上人御真筆の六字名号と併せて、寺号長延寺、法名玄栄を下附され開基となる。
火災にあい堂宇・宝物を焼失するが、方便法身尊形と蓮如上人の御真筆の六字名号は残る。
同地にて再建成る。これより寛文2年(1662年)まで一切記録なし。
神奈川条約(横浜開港)に基づき、オランダ領事館が当寺に置かれる。
正月の末の刻上尅、仲の町桑名屋清兵衛宅より出火、此の時西南風猛烈に吹き子安村に至る。宿内12ヶ寺ことごとく焼失、当寺亦その一也。各寺宝物を焼失すれども、当寺は幸にして其の損失無く、且什具も半出す。これことごとく有志の方々の芳志によるものである。(過去帳より)
本堂再建。
宗祖親鸞聖人650回大遠忌法要修行。(法要写真<フォトアルバム>)
関東大震災にて、相当の被害を受けたが、火災をまぬがれ、罹災者の収容に、本堂、庫裏を当てる。
大谷光照門主、集中豪雨の中を、御巡教の為、御来山。御親教を賜る。
太平洋戦争(第二次世界大戦)に於ける米軍の横浜大空襲の際、山門、経蔵を残し、全山の堂宇を焼失する。
神奈川の焼跡に仮本堂落成(旧経蔵を使用)
港北区(現在緑区)三保町に遷山事業を開始する。
本堂落慶法要を修行。
本堂が、神奈川県下優良建築コンクールにて表彰を受ける。
宗祖親鸞聖人御誕800年。
立教開宗750年。
長延寺遷山完遂落慶法要を修行。
長延寺仏教婦人会発足。
神奈川で唯一残在した山門を隣寺旧城寺(緑区三保町)に寄進。その再建成る。
遷山10周年記念祝賀法要修行。
門信徒会館(摩耶の家)完成。落慶法要修行。
長延寺仏教婦人会結成10周年記念法要修行。
遷山15周年記念法要修行。
遷山20周年記念法要修行。
三保の地へ移転後、長延寺の構造上、旧来の山門の設置かなわず、永年、白紙であった山門計画がここに彫刻家安田侃氏によって成る。
その門は、現代生活の喧騒の中で失いがちな「己に帰る」ことを念じ、製作された「帰門(きもん)」。山門(帰門)落慶法要修行。
本堂・客殿改築工事計画開始。
遷仏法要修行。
本堂・客殿改築工事着工
起工式修行。
上棟式修行。
入仏慶讃法要および完成奉告法要修行

