開基玄栄法師は武蔵国小机城立の一にして、小机城落城後、大阪石山本願寺に入陣、愛山獲法のために粉骨砕身する。
顕如上人(本願寺第11世)織田信長との和睦後、蓮如上人御真筆の六字名号を下附され、故郷都築群吉田村(現在の港北区新吉田町)に帰り、草庵を営み長延寺の開基となる。
神奈川宿の一隅に、一宇を創立、長延寺の礎ここに定まる。
火災にあい宝物を焼失するが、方便法身尊形と蓮如上人の御真筆の六字名号は残る。
同地にて再建成る。これより寛文2年(1662年)まで一切記録なし。
この年2月初旬より、白布の如き白気、富士山の方より辰巳を指して、暮六より亥の刻を限りとしてサオの如く立つ。20日頃より甚だしく月末漸くうすくなり、自然に消ゆ。元和5年、寛文の白気もかく如き哉。(過去帳より)
神奈川条約(横浜開港)に基づき、オランダ領事館が当寺に置かれる。
正月の末の刻上尅、仲の町桑名屋清兵衛宅より出火、此の時西南風猛烈に吹き子安村に至る。宿内12ヶ寺ことごとく焼失、当寺亦その一也。各寺宝物を焼失すれども、当寺は幸にして其の損失無く、且什具も半出す。これことごとく有志の方々の芳志によるものである。(過去帳より)
本堂再建。
宗祖親鸞聖人650回大遠忌法要修行。(法要写真<フォトアルバム>)
関東大震災にて、相当の被害を受けたが、火災をまぬがれ、罹災者の収容に、本堂、庫裏を当てる。
大谷光照門主、集中豪雨の中を、御巡教の為、御来山。御親教を賜る。
太平洋戦争(第二次世界大戦)に於ける米軍の横浜大空襲の際、山門、経蔵を残し、全山の堂宇を焼失する。
神奈川の焼跡に仮本堂落成(旧経蔵を使用)
港北区(現在緑区)三保町に遷山事業を開始する。
本堂落慶法要を修行。
本堂が、神奈川県下優良建築コンクールにて表彰を受ける。
宗祖親鸞聖人御誕800年。立教開宗750年。長延寺遷山完遂落慶法要を修行。
長延寺仏教婦人会発足。
神奈川で唯一残在した山門を隣寺旧城寺(緑区三保町)に寄進。その再建成る。
遷山10周年記念祝賀法要修行。
門信徒会館(摩耶の家)完成。落慶法要修行。
長延寺仏教婦人会結成10周年記念法要修行。
遷山15周年記念法要修行。
遷山20周年記念法要修行。
